法人化半年で資本金300万円を溶かした僕の恥ずかしい経営失敗談

僕はフリーランス時代の収益から300万円を資本として法人化したんですが、それをものの半年で溶かしてしまった恥ずかしい過去があります。

その後1年半で、資本分を取り戻し、会社の預金残高も資本の数倍以上になるまで持ち直すことができました。

最近ようやく心のゆとりが出来てきたので、この失敗談を世に放ちたいと思います。

諸先輩方の一発逆転サクセスストーリーではなく、もがいてもがいてやっと体力を戻した、しがない僕の経験談。

どうぞご覧ください。(ちなみにサムネは素材です)

半年で犯した失敗の数々

この話をするには、僕の失敗を振り返らなくてはいけません。

何重にも鍵をかけて床下に埋めた記憶を掘り返してみます。

※並行していくつもの失敗をしているため時系列にするのが難しいのですが、できるだけ整理してまとめています。

好調だったSEOが大下落し集客力が激減、外注化するも成果なし

僕は副業やフリーランス時代、営業なし広告なし代理店経由なしで運営していたんですが、それを可能にしていたのがSEOでした。

メインの集客ワードだけで月に5-10件程度の問い合わせが取れていて、7-80%の成約率なので個人としては十分な依頼を獲得できていた方だと思います。

それがまるで法人化に合わせるように、それまで3位内だったメイン集客ワードが2P目に落ち、問い合わせも月に1件入るかどうかという状況に陥ってしまいます。

(正確には法人化の2-3ヶ月前からちょっと不安定な動きはあったんですが、アルゴリズム反映時のブレ程度だと解釈していました。)

元々僕は勤めていた会社でSEO対策をブラック、ホワイト共に経験し、昔懐かしいランキング式アフィサイトでお小遣いを稼いでいた時代もあります。

コンテンツSEOに寄せた対策スタイルの調整でも成果を上げていたので、SEOについては怖いものなどないとタカを括っていました。

それだけに、この下落が僕に与えたダメージは甚大でした。

今考えれば、まだまだ被リンク構築に偏った対策になっていたことや、コンテンツの拡充が足りなかったことが影響していたのかもしれません。

流石にこれはまずいと、成果が見えていた知人のSEO会社に外部面を任せることに。

月10万円と1ワード(複合)に対してはそこそこな価格でしたが、以前の順位に戻せれば十分元は取れると考えていました。

が、これが甘かった。

蓋を開けてみると、その会社がやってくれたのは自分の対策と殆ど変わらない、というか自分より悪い内容で、当然順位も改善しませんでした。

契約期間の事情から半年間対策を続けたものの、むしろ順位は下降して3P目まで落ちてしまい、対策手法自体に問題があると考え解約となりました。

結果だけ見れば自分でやっていたことの反復に60万円を掛け捨てただけです。

順位下落の原因追求よりも事態の好転を焦ってしまったのがいけなかった。。これはすごく反省しています。

別の集客ルートを開拓すべく営業型案件紹介サービスを契約

外注SEOと時を同じくして、別の集客ルートを開拓すべく、営業型の案件紹介サービスと年50万円で契約したんですが、これがまた大失敗。

サービス自体は

  • サービスサイトにログインすれば、
  • 紹介案件が並んでるから、
  • 自分で提案してってね!

という、まあよくある形態。

おそらく法人化直後の制作会社を狙い撃ちしてるっぽいタイミングで営業が来たんですが、集客面の焦りがMAXだった僕は「営業」という部分を軽視したまま契約してしまいました。

SEOの部分で触れた通り、僕はそれまでほぼSEOのみで集客していたので、完全に「待ち」のスタイルだったんですよね。

なので、営業的なアプローチというかプッシュ型というか、「詳しい話を聞く前の段階で提案をする」という、このサービスの基本フローをどう活用していけば良いのか分からず。

サービスの仕組み上仕方ないのかもしれませんが、詳細情報のないまま「さあ、思う存分提案したまえ」みたいな案件も多く、ただ画面をおどおど眺める日々を過ごしてしまいました。

もちろん、無駄には出来ないと見様見真似で提案も行うようになっていきましたが、成約までのストーリーを組むことができず、1件も成約出来ないまま満期で解約。

ただ、このサービスを使う中で得られたこともあります。

課題やニーズのはっきりしていない段階の人にはある程度先に依頼範囲をパッケージ化した方が分かりやすい。

これは課題解決型の提案で毎回都度見積という僕のスタイルにはない観点で、非常に勉強になりました。

雇用を目指し、見切り発車で事務所を借りる

そんなこんなで集客大苦戦中であるにも関わらず、法人化ハイになっていた僕は「雇用して早く組織化しなくちゃ!」という思考に陥ります。

法人化するにあたり登記住所が必要だったというのも理由ではあるんですが、勢いで3人用の事務所を借りてしまいました。

その後卒業大学の紹介で、求職中の子と話したり、採用サービスに登録して採用活動にもトライ。

しかし怖がって非常に低い給与設定で募集していたので、幸か不幸かエントリー自体少なく、採用は見送ることにしました。

正直勢いのまま雇っていたら本当に悲惨なことになっていたと思うし、入社してくれる人にも大迷惑をかけるところだったので、この時採用が出来てしまっていたらと考えると恐ろしいです。

借りた事務所はレンタルオフィスだったのでそこまで高い家賃ではないですが、1人で作業をするだけの場所としては持て余していました。

また、毎日事務所へ通う訳なので、交通費や昼食代なども当然発生しますよね。

僕は自宅の作業環境を整えていたので、特別事務所自体に魅力を感じるということもなく。

段々「1人で同じ作業をしているだけなのに、何故出費を増やしてここにいるんだ?」という気持ちが強くなっていきました。

このレンタルオフィスは法人化半年、ちょうど資本金が無くなる前後で解約しています。

MEMO
事務所を自宅と切り分けることで、生活と仕事をはっきり分けられるのは事務所を借りるひとつのメリットだと思います。

数を追うこと諦め、単価を上げる

フリーランス時代は本当に破格で運営していたので、法人化で増えた固定費を賄うには、以前よりも案件数を増やすか、案件単価を上げる必要がありました。

SEOでも案件紹介サービスでも受注が安定しない中、僕はかつての受注数を取り戻すことを断念し、案件あたりの単価を上げることで窮地を乗り切ろうとします。

案件単価を上げること自体は今でも正しい選択だと思っていて、その理由は過去に記事にしています。

ただ、この時はタイミングが最悪でした。

数少ない問い合わせに、当時は明確な根拠もなく、単に今までの自分より高い見積を出していただけなので、受注できる可能性を自分で下げているようなもの。

ちょっと考えれば小学生でも想像できそうなことですが、当時の僕はそれすら考えることが出来ないほど切羽詰まっていました。

小学生の皆さんが思う通り、この決断で僕の集客力は更に下降していきます。

皮算用で手をつけた新事業へ、時間とお金を投資し過ぎた

ここまでで既に愛想が尽きてしまった人も多いと思いますが、僕の未熟な失敗談はまだまだ続きます。

「WEB制作」という業種が無くなるんじゃないの?という業界の話題について以前このブログでも記事にまとめました。

僕の所感はこの記事にまとめた通りなんですが、法人化直後の僕は「制作業の終わり」を意識するあまり、新しい事業の柱を立てることを焦り過ぎていました。

全くの未経験分野でこそなかったんですが、制作業と比べれば培ってきたノウハウの差は歴然で、調査検討に丸一日使ってしまうこともしばしば。

新規事業の立ち上げと考えれば調査検討に時間がかかるのは当然とはいえ、僕の場合、制作の受注が不安定になっているまっただなか。

我ながら、とても正気の沙汰とは思えません。

しかも組織化、自動化といった流行りのフレーズに流され、少しでも早く「美味しい事業」に育てようと月10万円強の予算を組んで、実作業の殆どを外注化。

自分は制作受注が少なくて暇なのに、「自動化する仕組みを作りたい!」みたいになっていて、足元が全く見えていませんでした。

もう一度言いますが、とても正気の沙汰とは思えません。

MEMO
結果的にこの事業はなんとなく形になりましたが、執筆時点であくまで制作業の収入を補う程度に留まっています。

「君はすごい!」おじさんとの出会いで更に時間を失う

この新事業でとある人と出会いがありました。

それが「君はすごい!」おじさんです。

最初は新事業への問い合わせ電話があったんですが、その電話の中で「関わっている会社で使いたいからぜひ一度会おう!」と言われ後日打合せをすることに。

てっきりサービスについて聞かれるものと考えていたんですが、実際に会ってみると、おじさんの過去の実績やら、フリーで培ってきた色んなすごい会社へのコネがあるやら、何だかよく分からない話を聞かされたのを覚えています。

掻い摘んで言えば、

「俺すごい!君もすごいから、一緒に売ろう!」

みたいな話でした。

冷静に考えれば何とも中身のない話なんですが、新事業を軌道に乗せることを目指していたので結局そのおじさんと一緒に動くことに。

しかしいざ動き出してみると、ひたすらおじさんのコネに提出する企画書を書かされる毎日で、いざおじさんとコネ先に打ち合わせに行っても「いやー前は色々やってたけど、今は無理だよ〜」みたいな事が続きました。

(もちろん僕のプレゼン力が不足していたことも原因)

一時は僕の事務所にまで居座ってきたこのおじさん。

結局僕が自分で受けた仕事を一度手伝ってもらっただけで、おじさんから得た仕事は1件もありませんでした。

人間的には愛着の持てる人なので、よく一緒に食事もしましたが、3ヶ月ほどで僕から「別でやりましょう」と終了を宣言しました。

ちなみにこのおじさんは今でもたまに電話をかけてきますが、「あなたのこれを売りたい」「コネあるから企画書書いて」と相変わらずなので、丁重に断っています。

MEMO
余談ですが、前職の社長とこの話をした時「いるいる!僕の時も全く同じことあったわ!」と笑っていたので、起業者あるあるなのかもしれません。

待望の大口案件を受注!しかし受注後ドタキャンに

数々の失敗を経て僕と会社のライフがゼロになりかけた頃、大口案件の依頼が舞い込みます。

起業に合わせた融資案件だったのですが、クライアントから色々相談され、審査で見られがちな見積内容などもアドバイスし、晴れて受注まで漕ぎ着けることに成功。

融資案件は出資元から受注者に一括前払いとなる事が多く、今回もそのパターンだったので、資本金が底を尽きそうだった状況から、突然残高が潤います。

この時は九死に一生を得た気持ちで、本当に嬉しかったですね。

妻にもウキウキ話をして、嬉し過ぎて僕はちょっと泣いたと思います。

しかしそんな気持ちでいられたのも数日で、ある朝クライアントからキャンセルしたい旨の連絡が入りました。

キャンセル不可は事前に説明しているので、法律的な話で考えれば、受注も成立しているこのタイミングならキャンセルを拒否できたのですが、心が疲れきっていた僕は全額を返し、キャンセルを受け入れてしまいました。

「起業時にこんなに大きな額を使うのが怖くなった。」

という理由でしたが、僕の対応がクライアントを不安にさせていたのか、いわゆる融資の抜き取りに使われたのか、はたまた言葉通りだったのかは今や分かりません。

このキャンセル騒動が落ち着いた頃、僕の会社の資本は尽き、ついには個人の資金を会社に継ぎ足すデッドゾーンへと突入しました。

法人化半年後、ようやく回復の兆し

しかし、この半年の間に試行錯誤していた取組が、資本が溶けた頃、徐々に身を結び始めます。

低価格&固定費獲得路線で受注率が上がる

当時の状況では法人1期目を乗り切ることも難しかったため、「売り上げ0」という最悪の道を避ける方法として、僕は高単価戦略をストップし、薄利多売路線へと舵を切ります。

時間はあったので薄利多売に対応し得ると考えたこと、制作費用を下げて管理系の固定契約を必須化することで、大きな利益よりも安定性の確保を優先したかったというのが理由です。

低価格戦略はちょうど法人1期目終了のタイミングで辞め、固定契約も任意契約に変更しましたが、雀の涙ほどの固定収入でもあるとないとでは全く心の余裕が違って、少しずつ積み上げることの大切さを日々、感じています。

この「固定契約による安定化」はフリーランスの時点で開始している人も多いと思います。

ところが僕はそれまで「とにかく発注しやすい人材になる」ことを重視して、固定費は取らずに管理作業が発生する時だけ低額で都度見積、のような運営を続けていました。

副業とフリーランス時代を合わせると4年という準備期間が僕にはあった訳なので、この4年で少しでも蓄積が出来れいれば。。。というのは今でも少し悔やまれます。

WEB広告による問い合わせ獲得が出来るようになる

はじめ半年の過程で集客方法に苦戦する中、実は一つだけ好転していた要素があります。

それがWEB広告(PPC)の運用で、藁にもすがる思いで開始したんですが、始め上手く運用できずに費用対効果も悪く、正直何度も辞めようと迷いました。

しかし試行錯誤を繰り替えす中で、法人1期目の後半に入るちょうどその頃、ぽろぽろと問合せがとれるようになっていきました。

実は社員時代に初歩的な運用経験があったため、CPAやCVR、CTRなどの把握や改善方法、広告運用の考え方の基礎は知っていて、それが下手なりに改善を進められた理由だと思います。

おかげで法人1期目を終えるころには、SEO時代の同程度の受注を広告から得られるように。

独力のみでSEOを行っていた時代から比較すれば、集客にかかる出費の分まだまだマイナスでしたが、「集客ルート」を見つけられたことは大きな心の支えになりました。

SEOもほのかに回復

コンテンツ拡充は引き続き行っていたので、この頃にはSEOの順位も少しずつ回復していきました。

まだ安定はしておらず1P-2P目をいったりきたりというポジションでしたが、3P目に埋もれていた時代からすれば楽園のような順位です。

途端に問合せは増え、受注も一気に改善へと向かいました。

嬉しいながらも本当に恐ろしかったのは、この時期の売り上げ推移のグラフと、SEO順位のグラフが完全に比例していたこと。

この恐怖は今も、固定収益の拡大やコンテンツ拡充に力を入れる大きな原動力になっています。

固定費の削減で安定感が増す

次に僕が取り組んだのは固定費の削減でした。

ビジネス書籍を開けば、

「固定費を減らす社長は失敗する」

なんて言葉がたくさん見つかりますが、振り返っても僕は固定費を全くと言っていいほど利益に還元できていなかったので、

  • 外注化していた新規事業を縮小
  • 事務所の解約
  • SEO外注の停止
  • 案件紹介サービスの解約

と、あらゆる固定費を削減。

集客力が少しずつ回復してきたこともあり、この対策で僕一人の状態なら何とか頑張れる程度の状態まで持ち直します。

また、新規事業を縮小したことで、制作業という基盤固めに力を集中。自分自身の事業戦略が整理されて商談にも強くなったのが嬉しい収穫でした。

大口案件の再来

なんとか「事業を継続できるかもしれない」という状況が出来たとき、再び大口案件の依頼が舞い込みます。

前回の失敗を踏まえて事前の提案や構成資料など、安心して発注してもらうための作業に力を入れたのが功を奏し、無事に受注することができました。

このクライアントは広告経由で僕の会社を見つけ連絡をくれたのですが、この依頼を終えた時、会社の預金残高は資本の1/3程まで回復。

その後も単発ながらいくつか依頼をもらい、今では他事業部の案件も任せていただくなど、良い関係を続けさせてもらっています。

1年目の苦労が2年目の利益になった

こうして、ぎりぎり乗り越え迎えた2年目は、1年目の努力が利益としてかえってくる年になりました。

  • 広告運用が最適化され、費用帯効果が増大
  • 1年目に低価格で受けたクライアントが3倍の単価で別発注をくれる
  • 固定費の蓄積が進む
  • 新事業が少しだけ拡大

などなど、1年目で苦労したことが一気に改善傾向に向かいます。

プライドを捨てて行った固定費削減のかいがあり、利益率も一気に改善。

2年目が半年経過した頃には、晴れて資本額を取り返すことができました。

その後もありがたいことに継続発注などをもらう機会は増えていき、2年目が終わる頃には当初の資本額の数倍以上にまで成長。

1年目と違い、戦略を持って高単価に再調整、結果それが身を結び、サービス品質も利益も上げることができました。

この年は、法人化1年目の恐怖経験から、がむしゃらに働く毎日だったので、決算間近になるまでどれだけ利益が上がっているのかすら把握しておらず、数字を見たときは本当に驚きました。

(もちろん常に損益はチェックしていましたが、利益総額を追いかけておらず。)

ちなみにこの1年で一番嬉しかったのは、決算時に税理士さんから言われた『今年は本当によく頑張りましたね。』という言葉。

もっと上手に経費を使えば良かった、など経営者として新たな課題が見つかった年でもありましたが、努力が結果に結びついたことは大きな自信につながりました。

僕が失敗を犯した理由

よく半年でこれだけ失敗を積み重ねたもんだと思います。

  • 成果の予測が不透明なものに投資している
  • 見切り発車で固定費を組んでいる
  • 現実を見て何が最優先なのか判断できてない

など、とにかくカッコばかり気にして戦略が無さすぎです。

勢い任せの軽い奴。って感じる方も多いと思いますが、元々僕は慎重な気質で、出来る理由より出来ない理由を探すような、石橋を叩いて壊すタイプの人間でした。

しかし前職から独立する際に「何とかなる」精神を強引に作りあげ、フリーランス時代は不運にも実際何とかなってしまいます。

そこで調子にのってしまった僕は、法人化も同じような勢い任せで進めてしまい、結局のところ、それが全ての原因でした。

何で防げなかった?ということも多いんですが、失敗を繰り返す中でどんどん視野が狭くなってしまい、空回りの連続で冷静な判断力を失っていたのかもしれません。

MEMO
結果的に事業を継続できているので「何とかなった」訳ですが、「何とかなる」という気持ちでは今の状態まで持ち堪えられなかったと思います。

失敗を経てもなお、やっていないこと

これだけ失敗を重ねてきた僕ですが、いまだに手を付けていないことが2つあります。

それは「代理店経由の仕事」と「プッシュ型の営業」。

 WEB制作業に携わっている方には共感してくれる人も多いと思うのですが、この2つを選択するかどうか、というのは制作業としてどんな働き方を選ぶのか、という話に通じています。

これについては話が逸れるのでまた改めて記事にしたいと思いますが、辛い中でも僕はこの2つを選択することはできませんでした。

今後事業を継続していく中でトライする可能性はありますが、今の気持ちとしてはできるだけ避けて進んでいきたいと考えています。

(ただ、これもカッコつけた考え方なのかもしれません)

まとめ

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。

当時のことを色々思い返しながらこの記事を書いてきましたが、あまりの未熟さに嫌気がさし、冷や汗も止まらず、何度も筆が止まりました。

法人化から半年は本当に辛い時期でしたが、1期目を走り切るまで、もっと言えば資本を取り戻すまではずっと恐怖心と隣り合わせでした。

当時僕は20代でしたが、早々に救心デビューを果たし、ストレスのあまり歯軋りで奥歯も割れました。(ほんとに。)

「好きなことで生きていく」

ってフレーズが流行っていますが、好きで始めたことも、生活をかけた生業として続けるには一言じゃ表せない苦労が伴います。

僕自身、楽しく稼いだ時代もあれば、この記事のように文字通り歯を食いしばって生き抜いた時代もあります。

僕のように失敗を重ねてしまう人は少ないかもしれませんが、好きなことで生きていくのはとても大きな決断です。

独立斡旋の大きなムーブメントを肌で感じる毎日ですが、流行りに流されず、自信と覚悟を持って選択してもらいたいな。

というのがこの経験談の締めくくり。

このブログではこんな僕が、経営の中で感じたことなどを発信しています。

良ければまた、見に来てくださいね。

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